イタリア建物探訪 その5

「ポンペイの都市」について説明、
ローマ帝国時代栄えた都市で、劇場、神殿、公衆浴場、商店などが建ち並んでいた。
そこは、上下水道や舗装道路なども整備されており、ローマ人の余暇地として栄えた。

マリーナ門からポンペイの町の中に入る入り口
最盛期の人口は約2万人といわれる。79年にヴェスヴィオ山噴火直後に
市民の大多数はローマなどに逃げたが、助からなかった市民も多くいた。
また、建物の屋根は灰の重みで落ちたが、建物そのものは灰のお陰で
倒れることなく残ったものが多かった。

1930年前の街並みがくっきりとよみがえってくるようだ
埋もれた街は人々から忘れ去られ、1630年間眠り続けることになる。
1709年、今から約296年前、一人の農夫が偶然にも壷を掘り起こした。
それがきっかけで街そのものが発見されることになるが、
本格的に発掘されだしたのは1748年から。ナポリ王国により行われたが、
当初はまだ宝探しの域を出ない状態だったという。
1927年以降、組織的な発掘が開始され、公共建築や住宅の跡が発見された。

円形劇場の観覧席は石積みになっていた

パン屋さんの石臼と焼き釜があり、釜にはパンが残っていたそうだ
こういったパン屋やピザ屋も何軒かあったようだ

写真の水飲み場がいたるところにあり、鉛管で水道も下水も完備されていた。

居酒屋のような酒場もあり、テーブルは大理石で造られていた
他にも多数の店が建ちち並んでいたのが建物を見るとうかがえる。

そして、公衆浴場もあり、驚くのはサウナ、冷水室,温浴室まであった

さらに、神殿や店、住宅のいたるところに壁画や彫刻が施されている
そしてなにより驚くことは、このような都市がはるか1930年も昔に造られていて、
その大昔の都市でありながら近代的な機能を備えていたこと、
また現代人となんら変わることのない人々の営みをしていたことである。
実は、この建築技術、様式等の原点はローマにある!